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Channel: 志度拓哉のブログ
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シーナ&ロケッツ 世界一のロックな夫婦・・・永遠に。

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シーナ&ロケット ユーメイドリーム


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ロックの女王との別れ・・・・


夫で同バンドのギタリストの鮎川誠がデイリースポーツの取材に応じ、「35年一緒に(シナロケを)やれて、幸せでした。ファンの方にも幸せでした、と伝えてください」と悲しみをこらえ、気丈に話した。 

シーナは昨年7月、急病でライブ出演をとりやめたが、鮎川によると、この時、末期の子宮頸がんと診断されていたという。8月にステージ復帰。9月13日に日々谷野音で行われたシナロケの35周年ライブにも出演したが、この時、体調が悪いことを伏せて、ステージに立っていたという。 

その後、体調が悪化し、11月下旬に入院。正月は自宅に戻り、家族で過ごすことができたが、今年1月中旬に容態が急変。再び入院。この日、家族が病室に集まり、手を握りながらみまもったパソコンでシナロケの35年分の音楽を聴きながら、息を引き取ったという。 

シナロケのパートナーとして、プライベートでは仲の良いおしどり夫婦としてしられた二人。鮎川は、本紙の取材にいつもと変わらぬ穏やかな口調で応じ、「歌うことが好きで、病気治ったら何したい?って聞かれたら『歌いたい』って。(最後にそれが)かなわんかったから、歌聞きながら…。素晴らしい歌手でした。一緒に35年過ごせて、幸せでした。ファンの皆さんから愛されて、とても幸せやったと思います。ハートが大好きだったから、バレンタインが命日(に)なって…」と語った。 

http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2015/02/14/0007740118.shtml 

シーナ&ロケッツ・オフィシャル・ウェブサイト a.k.a. ロケットウェブ 
http://www.rokkets.com/indexjp.html 


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日本のロックって、何処か歌謡曲であったり、演歌節になったり、
日本語の歌詞がそうさせるのかも知れないが、
俺が最初に60年代ビートやパブロックのサウンドを知ったのは
シーナ&ロケッツを聴いた時であった。

その頃は、パンクや、同じ博多バンドの後輩のTHE MODSを
聴いていたから、衝撃というレベルまでには至らなかったが、
紛れもなく、本物のビートを聴かせてくれたのが、このバンドであった。

前進のサンハウスを聴きまくり、ルースターズにはまったのは
20歳を過ぎてからであった。
当然、シーナ&ロケッツはその中で代表格であり、
素晴らしい音源を聴かせてくれた。

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最初にライブを見たのは、友人に誘われて、
ラモーンズのベーシストのディーディー・ラモーンのライブ
アストロホールに行った時かな?
ラモーン夫妻と鮎川夫妻のジャムセッションを見た!!

これぞロックでぶっ飛んだ夫婦だ!!
パンク世代でないこの夫婦が、誰よりもパンクしてたな!!

ロック土壌が低い我が国で、唯一のロックで有名な夫婦でもある。

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下北沢のBARでたまたま、飲んでたらこの夫婦に遭遇した
事があった。
ロックの話、友人だったと言う、ジョニーサンダースの話、松田優作の話・・・・
気さくに話してくれました。

短い時間であったが、
そこには、単なるロックスターに憧れただけの俺が存在した・・・・・。



そして、最後のアルバムを作り、それを何度も聴きながら、
シーナさんはこの世を去った・・・・・。

死ぬまでロックのままで生きれるのは、
名誉賞を取る事より価値がある・・・・
死ぬまで、少年、少女のままで居られるって事だから・・・・



今日のナンバー シーナ&ロケッツでピンナツプブルース・ベイベー!!



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