David Bowie - Ziggy Stardust (From The Motion Picture)
スターという者は、星には返らない生き物だと思っていた。
だが、スターが星に戻った時、ただ、
俺は星も見えない黒い東京の空を眺めて
Let's Danceを口づさんでいた・・・・
2016年1月10日
偉大なる表現者、デビット・ボウイの特報が流れた・・・・・
口紅を塗り、R&Rを演るだけで、俺は彼になれるなんて錯覚していた頃も
ある程だ。
だが、派手なメイクをして、グラム・ロックを奏でても、
それは俗物にしか過ぎなかった。
ビジュアル系、崩れの痛い人間にしか鏡に写らなかった。
あのスタイルはボウイが演じるから、カッコイイので、俺は俺のスタイルでボウイを継承しようと、その後、考え直した。
でも、男に生まれて、一度は、ボウイみたいな(スター)になる事を考えたのは、
美学であり、欲望であり、そして、ただ単純に憧れであったと思う。
その憧れの中で、ボウイになりたくて、国内外問わず、沢山のアーティストが世に誕生したのだと思う。
スターの死は、多くの人々を悲しみに導いた。
悲しみとは美しい感情の事を言うのだ。
個人的に、このブログで、最近、殆ど、洋楽の記事を書いていなかった。
皮肉にも2013年に書いた、ボウイとボランの記事が最後であった。
ボウイの音楽やB級映画の俳優像、ビジュアルもリスペクトしていたが、
何より、男気ある生き様に最も魅了されていたのかも知れない。
クールで照れ屋だが、誰よりも仲間想いで、熱い男で・・・・・・
個人的にボウイの音楽は、1970年代のグラム・ロック時代がベストであり、
その後の、アメリカやベルリンでの活動の頃は好んで聴かなかった。
だが、最近、その後のアルバムも聴き出した矢先に、このNEWSを知った。
大島渚監督の戦場のメリークリスマスや、バスキアでアンディ・ウォーホルを演じた
ボウイも好きで何度も繰り返して観覧した。
山本寛斎のファッションショーや、三島由紀夫の似顔絵を描いたり、
京都に在住したりと、我が国にもかなり縁がある事も嬉しく思えた。
何より、ボウイ自身が、日本はアートな国だと誉めてくれた。
ボウイに誉められたのでは、この国も本望であろう。
そして、ボウイの魅力は、彼が残した数々の言葉が好きで、
今日は、ボウイが残した言葉で俺が好きなものを紹介したい。
ご存知の通り、僕はセックスとドラッグをやり過ぎて、
まだ生きてるのが不思議なくらいさ。
人は他人が失敗するのを見るのが好きだけれど、
失敗にめげない人間を見るほうがもっといいに決まってる。
人生において失敗し、それを乗り切ることこそ、最高のスリルなんだ。
僕にとってリスクやそれに伴うスリル、
そして不安定さこそが表現の原動力みたいなものなんだ。
「今」、そして「今日」を大切に生きるべきだと思うね。
あまり先ばかり見つめていると、間違いなく己の死に行き当たる。
当時のぼくは、自分が世の中を変えるんだと思ってたけど、
今は世の中がぼくを変えている。それが成長ってものだよ。
僕は小さい頃、本当に内気だった。そんな自分が人前で歌うことなんてできないと思った。
だからこそ、僕は変装することにしたんだ。
人間は誰でもネガティブな態度とポジティブな姿勢を持つことが出来るけど、
僕はポジティブな姿勢を常に選択している。
パンクこそ、非常に価値のある変化なんだ。
古い殻を壊していくっていう状況は面白いよね。
それは、僕自身も常に心掛けてきたことなのさ。
音楽のお陰で人生の苦痛が弱まり、悲劇が薄まったとは言えない。
でも音楽があったからこそ、孤独な時に仲間がいてくれたし、
人々と触れ合いたい時にコミュニケーションの為の崇高な手段を持てた。
音楽は知覚の扉であり、僕にの住む家でもあるんだ。
僕はいかにも幸福なアルバムが嫌いでね。僕が幸福な時、
僕はいかにも幸福なアルバムは聴きたくないし、
本当に悲しい時は、幸福なアルバムは聴きたくない。だから個人的に、
僕の人生には幸福なアルバムの入り込む余地はあまり無いんだ。
僕は「これをこれこれこういう風に、こうしなくてはいけないのだ!!」
って明確に主張するタイプのアーティストじゃないんだ。
そういうのはボブ・ディランに任せておけばいいわけで。
長年の親友の家族が困ってる時、ヘルプするのは友人として当然だ。
大した事じゃない。
今後も僕にできる事が有れば遠慮せずいつでも連絡してよ。
(マーク・ボランの未亡人とご子息に対して)
あれでも共産主義者の女房か!
(ジョージ・オーウェルの未亡人に「1984」をアルバムタイトルとして
使用することを断られて)
お遊びだったんだよ。面白かったよ。
(ジギーを演じた事について)
日本にはいつだって戻りたいんだよ。
その場合、最終的には京都に行くんじゃないかな。京都で何ヶ月か静かに暮らしてみて、それが作品にどう表れるかを見てみたいんだ。
知らない街を知りたい時は、手持ちの小銭を数えて地下鉄に乗る。そして、その小銭で、行ける所までいくんだ。これが一番の方法だね。そして、到着地の辺りを散策するんだ。
この前、2004年に最後に東京へ行った時に、僕はこれを何度かやったよ。
2016年1月8日 69歳の誕生日。
死去の二日前、ボウイは最後のアルバム(ブラック・スター)
を残し、黒い星になった。
そして、東京の黒い空に、確かに輝く、一つの星を確かに観た・・・・・・
今日のナンバー デビット・ボウイでブラックスター