サンハウス スーツケースブルース
俺の女は目に涙を浮かべてた・・・・
いつまで続けるのHEY ダーリン そう言いやがる。
そんな事、俺にも分かりゃしねえよ・・・・・
でも、もう列車には乗り遅れた・・・・・・・・
天神駅の北部に、親富孝通りと呼ばれる通りがある。
1970年代に、この辺りの予備校生が、喫茶店やゲームセンターに入り浸り、
浪人してしまい、親に迷惑をかけるとの事で、
当時は(親不孝通り)と呼ばれていた。
親不孝とはイメージが悪い為、2000年辺りから今の(親富孝通り)が
正式名称となる。
幾つかの、飲食店が立ち並ぶ、繁華街ではあるが、
東京では、裏原宿辺りのアート性と、
高円寺辺りのポツンと存在する飲食街を思わせる。
俺が愛する、路地裏加減は健在で、
大都会の中に隠れた、裏町みたいな雰囲気が興味をそそる。
店もビルもアート感が漂い、
ROCKな空気が舞う。
ここに、全国の親不孝どもが集まった。
社会からはみ出して、ロクな生き方をした事が無かった俺・・・・・
でも、後悔するより、前に出る事ばかり描いていた。
1980年代には、この近辺に(80'sファクトリー)という
ライブハウスが存在し、
ここでも多くのロック・ミュージシャンが育って行った。
天神=熱きROCKの街という、印象も博多ミュージシャン達から教わった。
現在のこの街はダンスで盛んで、
若者中心で全国から賑わいを見せる・・・・・
1970年代~80年代初頭まで、盛り上がっていた、ROCKカルチャーは
未だ存在するのであろうか?
志度拓哉のブラリ街!!
前回に引き続き、今回も福岡県中央区天神を彷徨う!!
本場、博多のもつ鍋や焼き鳥に堪能し、大満足であるが、
まだまだ、スタート地点にしか過ぎない!!
まだガキの頃に痺れちまった、ショックなMODSのTWO PUNKSを
感じていない。
ビートルズ・マニアとか、ストーンズ・マニアとか存在するが、
俺は小学生の頃から、博多メンタイビート・マニアであり、
モッズ・マニアで育ったから、ロックと言うのは世代を超えて
受け継がれると思っている。
今日は、そんな、天神の裏手にある、親富孝通りを歩く。
CRAZYなBEATが聴こえてきそうだ!!
これは、スクラップ屋台?
それとも、現役で活躍している屋台であろうか?
一般的に博多のイメージに(屋台)がある。
中洲や長浜辺りでは、ラーメンや焼き鳥はもちろん、
すし屋やフレンチの屋台まで見かけた。
だが、条例でこの文化まで、消滅に持ち込まれていると言う。
・原則一代限りから、直系家族への1回限りの営業権譲渡が可能に
・屋台公募制度を設けて、屋台営業への新規参入が可能に
・ルールを厳格化して、連続違反屋台は営業許可の取消が可能に
・屋台の大きさや、営業時間の見直しへ
家賃の掛からない、屋台は他の飲食店の嫉妬から、
消滅の危機にまで追いやられていると言う。
また、滅びかけた(美)まで壊す気か?
昔は、大阪や東京の屋台で飲み明かしたが、
二大都市では、殆ど滅んでしまったから、
屋台好きが、観光で来て地域活性にもなっていると言うのに・・・・・
すべて、同じ様な文化で溢れた街より、
個性が勝つ街の方が美しい。
いつまでもこの街は、雑踏に紛れる中に憩いの屋台が
必要だと、個人的に思う。
親富孝通りの裏道で一件のロックバーらしき店に、
流れ着く・・・・・
KID ROCK
シンプルな店名に魅了されて・・・・
焼酎や日本酒は浴びる程、飲んでいたので、ラム等の洋酒を飲む。
店内はライブ機材も用意されていて、KINKSやWHO等のROCKが流れていた。
やはり、博多はROCK健在であった。
店員とROCK談義ですぐに、盛り上がる!!
このBARの常連客、ヤギちゃんが声を掛けて来る。
ROCK談義になれば、すぐに友人になれる。
これも又、ROCKが生み出す魔法のひとつである。
かなり、飲むし、ROCKに詳しすぎる(笑)
根っ子からROCKな先輩だ。
ヤギちゃんも、博多中心にライブを行うベーシストである。
何歳になろうが、この街では、その気さえあれば、R&Rが出来る!!
KID ROCK
福岡市中央区舞鶴1丁目8-2 オベリスク天神 B1-A 電話
:092-577-6998
そして、この周辺に無知な俺をエスコートしてくれる。
たどり着いたのは、近所の(JUKE JOINT)
ヤギちゃん、絶好調に酔っ払う(俺もだが)
190センチを超す、リチャードギアみたいなマスターが登場!!
この人こそ、博多ROCKのゴットファーザー!!
松本康氏がマスターの店である!!
博多ROCKの歴史はこの人がいないと始まらない!!
博多天神のROCK狂と呼ばれ、音楽を語ると最低二ヶ月は止まらず
語り続けるという逸話も持つ。
ジューク・レコードのオーナーでもあり、
博多出身のミュージシャン達は、松本氏の店に行き、
色んなレコードを教わり、音楽の歴史を学んだと言う。
松本康氏が語る、博多メンタイロックの歴史の映像を見ても、
このROCKに掛ける生き様が伝わる。
例えば、ネットも無い時代、ROCKのルーツも解らない。
日本のサンハウスが好きなら、ストーンズにたどり着き、マディ・ウォーターズやハウリン・ウルフに繋がる過程まで、当時の客に伝え、
数枚のレコードを用意したと言う。
博多メンタイと呼ばれる、当時のROCKER達も松本氏にROCKを学んだと言う。
壁に書かれたサインも、鮎川誠氏、柴山氏、ルースターズ、山善、横道坊主、ARBと最高なROCKERだらけ!!
この店は当然DJブースも設置されている。
ヤギちゃんが、調子に乗り、DJに森高千里をリクエストしあっさり却下されていた(笑)
レコードの数の多さにまたビックリ
(レコード店を40年やってるから当然かも知れないが)
オールド・ブルースからアメリカン、ブリテッシュ、パンク、博多メンタイまで
レパートリーは豊富で、一時、高円寺や阿佐ヶ谷辺りのROCKBARに
屯していたが、それ以上にROCKの名盤の数々がここで聴ける!!
ジョニー・サンダースのナンバーが激しく流れる。
深夜にジョニー・サンダースを流しながら、博多の片隅の店で飲む。
デジャブの様にその感覚が、蘇る。
小学生でTHE MODSに痺れ、中学生でピストルズと出会い、
ハードコアバンドで暴れ、
群れる事を辞めた俺も、今日は違う。
松本康氏とヤギちゃん!!最高なROCKな夜に感謝します!!
また、グラスに注いだ、焼酎をロックで飲み干そう!!
やはり、親富孝通りは、名前の通り、親不孝なROCKER達で溢れていた。
その親不孝達も、大人になり、子供も出来て、親不孝されながらも、
R&Rを貫いているのであろう!!
juke joint
〒810-0073 福岡県福岡市中央区舞鶴1-9-23 エステートモア舞鶴2F
されど、ROCKで国を変える事など、出来ないかも知れないが、
俺はROCKに音やビート以上に生き様を教わった。
戦争の愚かさ、乾いた政治の圧力、そして嫌だと思えば権力者に
首を振る勇気を教わった!!
中でもこのバンドに・・・・・・・
博多のブラリ街の最後は、この人であろう!!
俺が世界一、リスペクトするドラマーの梶浦雅裕氏!!
この人の8ビートを毎日BGMに朝も夜も迎えた程。
説明不要!!THE MODSのドラマーとして活躍し、
博多ROCKの歴史を築いた人。
The One Nightsと言うバンドで博多中心で活動する現役ドラマーである。
The One Nightsとは、梶浦氏が作ったバンドであり、
メンバーは梶浦氏を慕った仲間がその都度、
セッションの如くステージに立つ。
一夜で消えてしまう幻のBANDでもある。
例えば、ボーカルは石橋凌氏であったり、チバユウスケであったり、
ROCK界のトップ・アーティスト達である。
生き様であったり、社会情勢であったり、MODS時代の逸話であったり、
長く語ってくださり、本当に感謝します!!
現在でも、ナパーム・ロックを炸裂させた生き様に脱帽します。
そして、博多の街は現在でもR&R健在だと、いや、東京も大阪も日本全国
ROCKは死ぬ事が無いと認識しました。
そして、俺は今日も東京の片隅でR&Rに弾けてる!!
今日のナンバー!!一夜限りの炸裂R&Rナンバー
梶浦雅裕氏のバンド、THE ONE NIGHT!!
そして、親不孝通りで生まれた、名曲で、
デビュー前に封印された、幻の名曲
THE MODSでEND OF THE NIGHT!!